心と身体に障害を持つ人の日常〜人生紆余曲折〜

震災原発事故被災後にひき逃げ事故の被害者になった人間の日々です

メンヘラなのか…

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『メンヘラ』…いわゆる精神疾患者ですね。因みに写真は内容と全く関係ありません。

精神疾患(主に躁鬱)治療を途中で止めた私は、疾患が完治しているか分かりません。「精神疾患は完治しない」とも言われたりしますから、多分治ってはいないです。

精神科への通院を途中で止めた1番の理由は『お金が無くなる』からです。

精神科に通院している人間を雇ってくれる企業様など皆無に近いですよ…。しかし、通院するにも子供が通学するにも生活にはお金がないと困る訳でして…。

精神科に通院時はもう再婚してましたけど、主人が毎回通院に付き添えば有給はなくなり給料は減る訳で…。じゃあ1人で通院するかなってなった時、1人で通院出来るなら大丈夫なんじゃね?って思って。だったら行かなくていいんじゃね?ってなって。じゃあ仕事しよう!って仕事始めたけど職場で精神疾患がバレて辞める事になる。そんな事を繰り返して現在無職に至ります。

フルタイムがダメならと短時間パートにも行ったけどやっぱりダメなんですよね〜。

そもそも身体に障害がある上に精神疾患もあるっていう状態なので、どちらかが不調になると比例してもう片方も悪くなるんですよ。

身体的不調を薬で無理矢理抑えて仕事続けると、疲労とストレスがMAXになりそれまで隠れてた精神疾患が顔を出してくる😅心と身体は一心同体なんだなぁ…と、病気になって改めて実感しましたね。

精神科に通院していた時、主治医に「真面目な人ほど精神疾患になりやすい」と言われ「え?私って真面目な人間なの?」ってダンナさんに聞いたら「貴女は真面目な人だよ」と言われてビックリしました。だって自分はいい加減な性格の人間だと思っていたので、私を良く知っている主人の返答は予想外でした😵

「そう思ってる人ほど真面目なんですよ。本当に適当な人は自分を適当な人間だなんて思ってませんから」って主治医に言われて「確かに、高田純次さんって実はマメな人なんだよなぁ…」と思ったのを覚えています😅

世間様で『メンヘラ』と言う言葉が流行り出して(流行語なのか?)随分経ちますが、俗に言う『メンヘラ』さんと、精神疾患者は若干違うと思ってます。だって精神疾患者は自分を「私、病んでるから!」っ周りに言いふらしたりはしないと思うんですよ。私だって身内にしか「精神科通ってます」って知られてなかったです。「私、躁鬱です🤗」なんて笑顔で言える話じゃないでしょう😅自分は普通だ、大丈夫ですって顔してますよ。今もですけどね…。

まぁ、隠す必要がない方もいるんでしょうが、一般社会で仕事して暮らしていく為には隠す必要がある方の方が多いのでは…?私は勤め先には身体障害の方は申告しても、精神疾患はひた隠しにしてましたよ。結局は毎回バレてクビになるんですけどね…😅精神疾患者に対しての世間の風は、まだまだ冷たく強風であります😢

『メンヘラさんが主人公のゲーム』とかがやたら多く出ていますが、あの手のゲームの主人公はもう『メンヘラ』と言うより『猟奇的殺人者』ですよ💦『メンヘラ』の使い方間違ってる気がするのは私だけ⁉️あれが世に言う『メンヘラ』ならば、私は「至ってまともな人間です!」と、声高に宣言しますよ😤

 

皆さんの周りに、「私、メンヘラです❗️😉」的発言をされてる方がいらっしゃいましたら、間違いなく一般常識人です。

 

 

天気と体調

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本日は荒れた天気となっています。こんな日はウチの中でゴロゴロしているしかないですね。ワンコ達と一緒にダラダラしてます。

「天気痛」と言う言葉は、最近は良く聞く様になりましたよね。まぁ昔から「雨の日は古傷が痛む」とか言ってましたね。私も天気に体調が左右されます。

脳脊髄液漏出症の諸症状と左腕の痛みの強弱の原因を自分なりに色々調べているのですが、私が症状が酷くなる原因として悪天候も一つですが、気圧の谷と等圧線の間隔が混み合うと悪くなる傾向にあるなと感じています。

単純に雨降りや低気圧で不調になるという事ではないみたいで、晴れてても気圧に波がある時の方が絶不調です😢

なので私のスマホタブレットには、ウェザーニュースの3時間毎の気圧予報サイトがブックマークされてます。それと気象庁の気圧配置図も毎日数回チェックしています。天気が良いか悪いかではなく、気圧配置はどうなっているのかが最重要です。それを見て、行動予定を立ててます。

田舎暮らしなので、運転は必須です。しかしながら不調の時は運転出来ないと言うか、起きてるのも苦痛なので数時間毎に気圧配置を確認しながら「この時間なら買い物いけるかな?」とか「これじゃ今日は銀行は間に合わないな…。」とか、気圧の隙間を見計らっての行動は結構大変です。特に金融機関は15時に閉まるので、もっぱらネットバンキングを使います。どうしても店舗に行かないと出来ない場合、しかも期限付きの場合は期限日までの期間の気圧配置を調べて入念に計画を立てます。

しかし、天気は常に変わるもので、予報が外れる事もしばしばあります。ですから常に時間に余裕を持って行動するように心掛けてます。

全ての事がネットで完結してくれると大助かりなんですけど、日本はまだそこまでネット社会が確立されてないかなと…。

ま、麻酔注射がネット購入で誰でも打てる世の中になったらちょっと怖いか…😅重い病気は怪我は、やっぱり病院行って医者に診てもらいましょう😊

また話が逸れましたが、私を含め天候に左右される体調の方々、周囲がそれを分かってくれる事が1番大事な部分ですよね。

私なんかホント、見た目は『普通』なので、事故後に働いてきた職場の中には「仮病」と言われてる事もありました。事故に遭ったのを知らない人が大半なのでいちいち説明が大変で🥺それでも納得してもらえない場合が多くて結局は仕事辞める事になるのの繰り返しで現在無職。スキルはあっても資格がない障害者のアラフィフさんは再就職するのかなり大変です💦でも仕事したいんですよ…。お金欲しいんで💴

こんな私を雇ってくれる心優しい職場はありませんかね?事務経験もあるので資格はありませんが最低限のPCスキルはあります。在宅勤務希望ですが…🙇‍♀️🥺

仮設住宅の今

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昨年の秋に撮影してきたもので、今はもう撤去されているかも知れませんがこちらが私達一家が住んでいた仮設住宅になります。

間取りは、風除室を入ってすぐ手前側にキッチン。キッチンの右側奥に洗濯機置き場があり、左にお風呂とトイレが別で並んでます。脱衣所はなく、玄関ドアを開けたら丸見えなので衝立を置いてました。その奥に4畳半と6畳の部屋があります。

1列に10部屋並んでいる長屋の1番奥の部屋でした。隣は両親で、数ヶ月後に6畳間の壁の1部分を壊し、パネルドアで繋いでもらいました。

断熱、防音性は想像通りで、列と例の間隔は乗用車1台分の幅。ご近所さんの生活音が全て聞こえてました😅

父の実家である被災地に引っ越すまえに借家暮らしをしていましたが、ここまで酷い環境ではなかったと記憶してます。

滅多に雪の降らない地域から雪国に飛ばされ、その年は例年にない豪雪。除雪量が半端ない上に、隙間風が入ってエアコンの暖房じゃ歯が立たない部屋での冬場は正直泣きそうでした🥲

就職先が見つかり、ある程度生活の見通しが立てられる様になるまでの約1年半、ここで暮らしました。

子供達を1日も早く『普通の生活』に戻す為、慣れない雪道運転で、何度タイヤがスタックしても側溝に落ちたりしても、めげずに片道約15キロの道のりを通勤しました。

仮設時代は、元のご近所さんが同じ長屋に住んでいたのが唯一の救いでした。

子供達が騒いでも多少は大目に見てもらえた環境ではありましたが、なにせ皆さん田舎の広々としたお宅に住んでいましたから。敷地面積数百坪の農家の家の方が、いきなりこんな長屋生活ではかなりのストレスなのではと思ってました。実際我が家だって窮屈だと思ってましたし、他家の生活音が全て聞こえてくるって言う事は自分のところの生活音も聞こえているって言う訳で、それが1番嫌でしたね😭

なので私は、一刻も早くここを出て行こうと必死に働き、1年半でようやく住宅ローンが組める様になったので職場付近での格安物件を探して購入し、引っ越しを機に子供達を地元の学校に通わせる事にしました。家を買った以上、この地に永住する覚悟でいましたから。

残念だったのは、両親がこの地での永住に反対だった(雪国には住めないとの事)為、これを機に別居になってしまった事です😢この時既に現ダンナさんと再会はしていますが、まだ再婚していません。する予定もなかったし、そもそも付き合ってすらいなかったです😅なので私は家族5人で暮らす達の家を買ったんですが、結局はひき逃げに遭って仕事クビになりローンが払えなくなったのと、腕に障害が残った事で雪国での暮らしに無理が生じてきた為、両親が引っ越した温暖な地域に我が家も引っ越す事になるのですが…。

仮設があった地域には、米農家をしている古くからの知人がいて、震災以降その方からお米を買っています。なのでこの写真は新米を買いに行った時に撮ってきました。この地域はお米がめっちゃ美味しいです😊なので日本酒も美味しいのが揃ってます❗️

 

コロナ禍で外出が難しい時期ですが、お取り寄せも出来るお店もあるので良かったらお米や日本酒を買って味わってみて下さい。『福島県会津地方』です。寒いけど、住んでる人達は暖かい方々です😊

被災地

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我が家のある場所は、『1F』とか『福1』なんて呼ばれている例の原発から20キロ圏内のいわゆる『被災地』です。

元々住んでた場所は未だ入れない場所にあり帰れません。

しかし、里山の田舎暮らしじゃないと生きていけない私と避難先で原発関連のイジメを受けた我が子の為にあえて近場に戻って来ました。

ここは全町内で除染は終わり、自家野菜も無料で線量検査してくれます。売っている作物には検査結果が記載されてあり、山のキノコ類はまだ食べれないけど、ウチで作った作物も今まで規定数値を超えた事がありません。地元では地域作物の『安心安全』を第一にして積極的に検査をしてくれます。だから安心して地元作物を食べてます。逆に「検査していない他県の作物って大丈夫なの?」って思っちゃうくらいちゃんとしています。

住民は7割程度帰町しています。他県からの移住者もいます。我が家みたいな未だ帰れない地域住民も結構住んでます。自然豊かで静かなここの環境は、人に溢れた場所に疲れた方にはとても魅力的な場所だと思います。

もちろん、今後原発に何も起こらないと断言は出来ません。我が家から20分も車で走れば廃炉作業中の原発が見えます。

それでも地元付近に帰って来たのは、私が地元が好きだからと、ここなら子供が原発関連のイジメに遭わないからです。

ここに引っ越して来て約2年。上の子は、この家に引っ越す前に進学で他県に移りました。

下の子ももうすぐ、ここから100キロ以上離れた場所に進学の為移動します。

我が家は4回引っ越しをしています。避難所から仮設住宅。仮設から一軒家。家があった市から別の市に避難先を変えた際の引っ越し。そして今の家に。最初の避難や避難所の移動を含めたら7回になります。

家は今の家を含めて3回購入しています。全て中古です。しかも最初の家はローンを組んで買いました。避難先で就職した私が、人生初のローンを組みました。その家も、ひき逃げ事故で手放す事になり、両親の勧めで現在両親の家がある地域へ引っ越し。両親宅から車で5分の住宅地に中古一軒家を購入します。私が入ってた『東京海上日動火災』から出た保険金の半分以上を使いました。

しかし、そこで子供が原発関連のイジメに遭います。上の子は比較的軽く済んだのですが、下の子は酷いイジメでした。陰口なんてカワイイ方で、物は隠される破かれる、1番最悪だったのは突き飛ばされての骨折です。それを学校側は「子供同士の悪ふざけによるもの」で終わり。教育委員会まで行きましたがこちらもうやむやにされて終わりでした。

イジメ発覚当初はウチの子も「学校に行けなくなるのは嫌だ」と言って我慢していましたが、そのストレスが体調に現れ、頭痛、腹痛、過食に拒食。最終的に引きこもって「学校に行きたくない」になりました。当たり前ですよ。今までよく耐えたと褒めてやりましたよ。

その当時は私もメンタルズタボロで、「我が家がこうなったのは全て自分のせいだ。」と考えていたからか社会不安障害躁鬱病になり、精神科に入院したりもしました。子供同様に過食に拒食。リストカットに薬物の大量服用などで我が家には救急車が頻繁に来ていて、最終的に警察まで来ました。

そのせいで、私の母が様子見に毎日我が家に来ていました。認知症の父の介助に加えて娘と孫の世話。このままじゃもうみんなで死ぬようだ…。そんな日々の中で思ったんです。「帰ろう」って…。

そう思ってからの私の行動は早かったですよ。ネットで超格安物件を探し出し、保険金の残りほぼ全てを使って今の家を購入。思い立って僅か半年で引っ越しました。

子供の編入手続きも神対応。こちらの学校は「大変でしたね。でももう大丈夫です。ここの学校の子達はみんな同じですから。」と、スゴく中途半端な時期の編入でしかも前の学校からの編入手続きの書類に不備や遅れがあったのにも関わらず、とても暖かく迎えてくださいました。

こうして我が家はようやく安住の地に辿り着いたのです。そこは故郷のすぐ側。引っ越しに関しては「子供を連れて行く場所じゃない」なんて意見が身内から出たりしましたが、この町の義務教育以下の年齢人口は1000人を軽く超えています。出生率も年々増加中で町には子供達の笑い声が響いています。教育体制も抜群に良いですよ。生涯学習に力を入れ、タブレット学習も早くから取り入れていた授業は、このコロナ禍でも遅れは無しです😊他地域の有名進学校への合格者多数。ウチの子も、春から看護学校に進学します。

 

10年経って未だ帰れない元我が家の様な場所もあるけれど、少しずつ復興している地域もあります。今住んでる所は現在進行形で復興してます😊

都心に住んでたって地方に住んでたって、子供の可能性は変わりません‼️どこに住もうが未来は切り開けます☺️人それぞれだと思いますが、もし都心でツラい思いをしているなら、田舎で伸び伸びとしてる方が、子供の力を付けてあげれると個人的には思ってます😊

 

写真は我が家の前の田んぼ道。私は身体的理由で庭くらいしか外に出ませんが、家から一歩出るとこんな風景がどこまでも続いてます。お三方は毎日の散歩が大好き❤アスファルトよりも未舗装の道の方が楽しいみたいです😊

自然って、人だけじゃなくペットにも大切なんですね。って、当たり前ですよね、動物なんだから😅

家族3

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ひとりで写っている写真がなかったので全員集合です。我が家にやって来た3番目の子、柴犬の『シバ子』です。

この子は元々、私の両親宅で飼われていた子です。両親が高齢で飼いきれなくなり我が家で引き取りました。

この子を飼うと言い出したのは父です。その時すでに足腰が弱くて杖がないと歩けない状態。しかも軽度認知症と診断されていました。

母も私も猛反対でした。その身体でどうやって世話をするの?散歩は?柴犬は大きくなったら力も強くなるし、誰が面倒見るの?この家に来るのは犬にとっても可哀想だと強く言いましたが、人の意見など昔から聞いた試しがない父は「近所で産まれたんだ。安くしてくれるって言うし、犬の世話ならしてきたから大丈夫だ。」と言って連れてきてしまいました。

案の定、散歩には母が連れて行く事に。

子犬の内は何とか散歩していた母ですが、2才になったある日の散歩途中で不意にシバ子がリードを強く引っ張り、その勢いで母はよろけて足の指を骨折してしまいました。

こうなるともう散歩には連れて行けません。我が家だって毎日通ってシバ子の散歩をするのは無理です。それでも父は「大丈夫だ」と言い続け、シバ子は直径2mにも満たない狭いスペースに犬小屋を置かれて柵で閉じ込められ放し飼いにされていました。

私も体調に波があり、頻繁に顔を出して様子を見てやれず、久々に見に行った時にはかなり衰弱していました。

よく見ると、エサ皿の中にはいつあげたのかわからない状態のドッグフードが入ったまま。水も汚れているしで状態は最悪。

すっかり痩せてあばらが浮き出ているシバ子。毛並みも荒れて、健康状態が気になります。けれど今この家には、この子を病院へ連れて行ける人物はいません。自分の事と父の介助で精一杯な骨折している母には犬まで構ってあげる余裕は無いのです。

それでもなお「大丈夫だ」と言い続ける父。「この状態の何が大丈夫なのか言ってくれよ!」と遂にキレた私。

立って事もままならない母は、食事を作る事すら大変で、私が食卓便を頼んだ。ヘルパーもお願いして掃除に入ってもらう様に言ってもそれは大丈夫と言う父は何も理解出来ていない。認知症だから仕方ないでは済まない状態。このままでは母まで倒れてしまう。せめて気にしているシバ子だけでも我が家に連れて行けないものか…。

家族会議の末、『畑の害獣対策として借りていく』という名目で連れ出し成功。

こうして我が家に来たシバ子。まずは病院へ。獣医さんもビックリの衰弱ぶり。「老犬かと思いました。」と言われるほど。検査結果、シバ子は極度の栄養失調でした。原因は運動不足とストレスだろうと。

教わったフードを与えて適切な運動をさせて、シバ子はみるみる回復してくれました😊

毎日丁寧にブラッシングして接する時間を多く取り、みんなから見える位置に犬小屋を設置。冬は寒いからビニールハウスで生活。繋がれている時も動けるようにリードを長くしてなるべくストレスがない様に工夫しています。

本当は家の中に入れたいのですが、ウチのLとモノ凄い犬猿の仲。しかもずっと外犬だったので家の中に入りたがらないし。だからせめて寒さ凌ぎにとビニールハウスに住んでます。

父は「いつ返してくれるんだ。」と言ってきますが、適当に誤魔化してます。なんだかんだ言っても忘れてしまうので。

介護3の認定受けてる父と、骨折は完治したけど今度は三叉神経の治療中で現在も運転出来ないしフラフラしながら歩いてる母しかいない家ではどうやっても無理ですからね。

そんな訳で、我が家は現在お三方の犬達がガウガウとケンカしながら一緒に散歩しています。ケンカするけどシバ子はLに本気で噛み付いたりしない良い子です。本気出したら一発でアウトですよ、なんせ柴犬対ミニチュアシュナウザーですからね💦

でもシバ子は年上のRには一切手出しはしません。逆にRがシバ子にガウガウ怒ってます。シバ子はLより1才年上なので下には厳しいのでしょう。さすが日本犬、年功序列をわきまえてる😊

 

以上、我が家の家族紹介でした。ただの愛犬自慢とも言いますが…😅

 

 

家族2

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この子は我が家にやって来た2番目の子『L』です😊

前回、最初の子の名前を書き忘れてました。『R』です。名前の由来は大好きな漫画の主人公から『R』と命名。だから次は『L』です。安直な考えだと家族に言われましたが個人的にはとても良い名前だと思って付けました😊

 

私は前回書きましたが、幼少の頃から複数の犬達と暮らしていました。

そのせいか、Rが来て3年が過ぎた頃から「なんか、Rひとりで寂しそうじゃない?」と思い始め、師走の忙しい外出中に目に入ったペットショップにふと立ち寄りたくなって行った際にLと出逢いました。

LはRと違って生後3ヶ月の幼犬でした。それでもペットショップで売られていたからなのか、ゲージには『歳末売出し中』の札が…。

私はその時、Rとの出逢いを思い出して「これは何かの縁なんじゃね?」と即決で購入しました。

私はよくペットショップに行く方ではないです。そもそも用のない外出をしません。

必要な買い物は基本ネットで。生鮮食品類は近くのスーパー。遠出はほぼ病院。「暇だから買い物でも行こうか。」はほぼないです。子供に「どっか連れて行って!」と懇願されても基本的にはお断りします。買う物が決まってない買い物に行くと、大概はいらないモノを買ってしまうから損すると思っていますので…。

「釣りに行こう」とか何か目的があって遊びに出掛けるのは好きです。人が多い場所は具合悪くなるので苦手です。だからショッピングモールとかアウトレットパークとかが苦手で、寺社仏閣巡りとか海や山に行くのは好きです。

 

話が逸れましたが、LもRと同じミニチュアシュナウザーの男の子です。血統書にはふたり共、毛色が『ソルト・ペッパー』と書かれていますが、全く違う毛色にしか見えない…😅

Rの4才年下のヤンチャ盛りですが、Rより賢いです。Rは「中に小さいおっさんが入ってるのか?」て言いたくなる性格です😂

しかしながら、それまで散歩以外はウチの中でほぼ寝ていたRが、Lが来た事によってウチの中で遊ぶ様になりました。まぁ、遊ぶと言うか戦ってます…😅ま、元気出て良かった♪

 

最近は、ペットショップで生き物を購入する事に反対する方が増えてきてるなと感じています。でも、売られている子達全員に罪はない訳で。ペットに対する考え方が諸々進んでいる国と比べて日本は遅れてるんだと思います。国が規制でもしない限り、これからもペットショップで生き物達は売られ続けると思います。

私は、ペットショップで犬を売っていたら、そこで出逢いがあれば買います。でも、売れ残った子や障害を持った子、野良と化した子達が処分されたりしないで寿命を全う出来る世の中になって欲しいと思ってます。

 

なんか話が訳わからなくなってきたので終わります。次回は3番目に来た子の紹介をします。

 

家族

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我が家の大事な家族の紹介です🙂

我が家は現在、3頭のワンコがいます。まずはおひとり、私を救ってくれた子の紹介を…。

 

私は産まれた時から家に犬が居ました。多い時は7頭飼っていて、その中には野良犬だったのを父が手懐けて飼い犬になったコもいました😀

父は狩猟をしていたので、主に狩猟犬を飼っていましたが、兄妹の子供が重度の犬アレルギーと判明して我が家にやってきたパピヨンもいました。

震災の時はパピヨンとイングリッシュセッターの2頭がいて一緒に避難しましたが、セッターは私がひき逃げに遭った後、まるで私と入れ替わるかのように私の意識が戻る直前に亡くなり、パピヨンも私が退院後に息を引き取りました😢15才と16才。そこそこご長寿だったと思います😌

家にはそのふたり以外に、烏骨鶏と保護したキジに合鴨に鯉なんかがいましたが、流石に連れて行けず、震災後一時帰宅した時には既にみんな死んでいました。

避難後、2頭がいなくなってからの私は、ひき逃げ事故の対応が最悪だった検察と警察への猜疑心が日に日に強くなり、誰も何も信じられなくてもう精神が破壊寸前状態でした。

その年の初夏の頃、所用で外出中に通りかかったペットショップに何故か立ち寄りたくなり、待ち合わせしているので時間がないと相方さん(現ダンナさん)は文句を言いつつ寄ってくれた時に出逢ったのが写真の子です🤗

その時、「何がなんでも今、ここのペットショップに行かなきゃ❗️」と思ったんです。

お店に入って導かれる様に向かった先に、この子がいました。子犬達がじゃれあってる遊び場で、ひとり私に寄って来て尻尾を振ってくる子がひとり…。

他の子たちは間違いなく子犬なのに、何故かおひとりだけ成犬ですか?って大きさ。犬種も良くわかんない。でも私はこの子を見た瞬間に「逢えた!」って思ったんです。

すぐに店員さんに出してもらって抱っこ。嬉しそうに私の顔を見つめる。犬種を聞いたら生後8ヶ月過ぎのミニチュアシュナウザーとの事。8ヶ月過ぎ…、だから大きかったのね。ほぼ成犬だもんね💦

店に着いてものの10分で決まりました。家族もビックリの勢いで決まりました。お店で最終処分の赤札の値段が貼られていた子で、他の子はひとりも見ずに決めたから、店員さんに「本当にいいんですか?」なんて聞かれたくらいです😅

でも私には、他の子なんて全く目に入らない。この子しかいなかったんです。この子が私を呼んでいたんじゃないかと思ったくらい、「キミと帰るぞ!」ってなったんです。

最初から決まってたんじゃないかと思います、この子は我が家に来るべくして来た子なんだと。だってこの子は、人生のドン底にいた私を救ってくれた救世主なんです❗️

 

…私は震災原発事故後、ひき逃げにも遭ったせいで精神状態が非常に悪くなり、せっかく助かったのに生きる気力を失いかけてました。しかし、。この子が来てからは、私が死にたくなる度に何かしらやらかして、私に『喜怒哀楽』を与えてくれます。そしてそれが私の生きる気力を取り戻してくれる『力』となりました。

先住犬達は父と兄妹の犬でしたから、この子は私が自分で決めて飼う初めての子になりました。

『運命』とか全く信じない人間でしたが、これは運命としか言いようのない出逢いでした。もしこの子と出逢わなければ、私は主人と再婚もしなかったし今の生活はなかったでしょう。この子が今の私達家族を作ってくれたと言っても過言ではありません。

 

今年で8才になります。相変わらずやらかしてくれますが、歳を取ったなぁと感じる事も多くなってきました。

まだまだ元気でいてくれないと困るので、定期検診に行ったり食事に気を付けてます。この子には、色々やらかしてくれても感謝しかありません😌

 

「ウチの子になってくれてありがとう。」と言う気持ちは、ペットを飼っている方は皆さん同じだと思います。

 

いつかはやって来る別れの日まで、この子が穏やかに健やかに過ごせる事を願って今日もみんな一緒にダラダラしてます😅

 

次回はこの子の相棒を紹介したいと思います。

以上、ウチの子自慢でした😁