心と身体に障害を持つ人の日常〜人生紆余曲折〜

震災原発事故被災後にひき逃げ事故の被害者になった人間の日々です

仮設住宅の今

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昨年の秋に撮影してきたもので、今はもう撤去されているかも知れませんがこちらが私達一家が住んでいた仮設住宅になります。

間取りは、風除室を入ってすぐ手前側にキッチン。キッチンの右側奥に洗濯機置き場があり、左にお風呂とトイレが別で並んでます。脱衣所はなく、玄関ドアを開けたら丸見えなので衝立を置いてました。その奥に4畳半と6畳の部屋があります。

1列に10部屋並んでいる長屋の1番奥の部屋でした。隣は両親で、数ヶ月後に6畳間の壁の1部分を壊し、パネルドアで繋いでもらいました。

断熱、防音性は想像通りで、列と例の間隔は乗用車1台分の幅。ご近所さんの生活音が全て聞こえてました😅

父の実家である被災地に引っ越すまえに借家暮らしをしていましたが、ここまで酷い環境ではなかったと記憶してます。

滅多に雪の降らない地域から雪国に飛ばされ、その年は例年にない豪雪。除雪量が半端ない上に、隙間風が入ってエアコンの暖房じゃ歯が立たない部屋での冬場は正直泣きそうでした🥲

就職先が見つかり、ある程度生活の見通しが立てられる様になるまでの約1年半、ここで暮らしました。

子供達を1日も早く『普通の生活』に戻す為、慣れない雪道運転で、何度タイヤがスタックしても側溝に落ちたりしても、めげずに片道約15キロの道のりを通勤しました。

仮設時代は、元のご近所さんが同じ長屋に住んでいたのが唯一の救いでした。

子供達が騒いでも多少は大目に見てもらえた環境ではありましたが、なにせ皆さん田舎の広々としたお宅に住んでいましたから。敷地面積数百坪の農家の家の方が、いきなりこんな長屋生活ではかなりのストレスなのではと思ってました。実際我が家だって窮屈だと思ってましたし、他家の生活音が全て聞こえてくるって言う事は自分のところの生活音も聞こえているって言う訳で、それが1番嫌でしたね😭

なので私は、一刻も早くここを出て行こうと必死に働き、1年半でようやく住宅ローンが組める様になったので職場付近での格安物件を探して購入し、引っ越しを機に子供達を地元の学校に通わせる事にしました。家を買った以上、この地に永住する覚悟でいましたから。

残念だったのは、両親がこの地での永住に反対だった(雪国には住めないとの事)為、これを機に別居になってしまった事です😢この時既に現ダンナさんと再会はしていますが、まだ再婚していません。する予定もなかったし、そもそも付き合ってすらいなかったです😅なので私は家族5人で暮らす達の家を買ったんですが、結局はひき逃げに遭って仕事クビになりローンが払えなくなったのと、腕に障害が残った事で雪国での暮らしに無理が生じてきた為、両親が引っ越した温暖な地域に我が家も引っ越す事になるのですが…。

仮設があった地域には、米農家をしている古くからの知人がいて、震災以降その方からお米を買っています。なのでこの写真は新米を買いに行った時に撮ってきました。この地域はお米がめっちゃ美味しいです😊なので日本酒も美味しいのが揃ってます❗️

 

コロナ禍で外出が難しい時期ですが、お取り寄せも出来るお店もあるので良かったらお米や日本酒を買って味わってみて下さい。『福島県会津地方』です。寒いけど、住んでる人達は暖かい方々です😊