心と身体に障害を持つ人の日常〜人生紆余曲折〜

震災原発事故被災後にひき逃げ事故の被害者になった人間の日々です

『避難者』『被災地』『被災者』はいつまで?

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庭に植えた枝垂れ桜に鳶が止まる夕暮れ時。月も浮かんでいるベストショットは去年のものです。

今の家に越してきて2度目の春。今年は桜の木に鳶は来ませんでした😢

外犬のシバ子(柴犬)が来たのが去年の5月だから、今年はシバ子を警戒しているのか上空に姿は見えれど我が家の庭木に止まる事はないです。

シバ子が来てから、野生動物の姿も余り見なくなりました。

引っ越して来た当初は、ウチの田畑にもイノシシの足跡があったのですが、シバ子のおかげかなくなりました😊

隣の家は作業員宿舎として使われていましたが、先日空き家になりました。

ハウスクリーニングが来ていたし、また誰かに貸すのか売りに出るのか分かりませんが当面は静かそうです。

 

我が家のある場所は、いわゆる『被災地』なのですが、元々何もない自然豊かな田舎町なので、震災前から何が変わったのか正直言ってよく分からりません😅

人口が減ったと言いますがそれほどでもないし、あのまま震災が起きなかったとしても対して変わらなかった気がします。

変わった事と言えば、原発で働く地元の人が減った事。それだって元々は地元の人じゃなくて、原発で働くのに移住して来た人で、原発が出来る前からずっと地元に住んでいた人は意外とみんな戻って来てたりする。戻って来れない人は、避難先での生活に基盤が出来たから。子供の学校や自分の仕事がそちらで定着すれば戻って来る理由がないし。むしろ戻って来れないですよ、遠方に行った方が戻って来て、こちらから何時間もかけて職場に通勤するメリットが見つからなければ無理ですよ。仕事辞めてまたこっちで再就職するのだって、廃炉関連の仕事が8割の場所で安心安全な仕事を探すのは大変だと思いますよ。

 

なので、これと言った縁もなくこの地にl引っ越して来た我が家は多分レアなんだと思います。まぁ、全く縁が無い訳ではなくて、同じ『被災地』に住んでた『被災者』で、未だ帰還困難区域に家がある『避難者』ですから。なにせここから元の家まで車で20分位の同じ郡内だしね😁

 

ところでこの『被災者』とか『避難者』って言い方、いつまでなんですかね?

10年の節目とか言われてますが、未だ我が家は『避難者』に数えられる訳で…。

住んでる家も持ち家なのに『避難者』って…。

『被災した』『避難した』と言う事実は生涯変わらないけれど、『被災地』『被災者』はまぁ仕方ないとしても、『避難者』はそろそろやめたいですね😓そんな感覚、もうないからねぇ。『避難している』って感覚はないですよ。確かに元の家は帰還困難区域にあるけれど、10年も経てば普通に暮らしてる訳で。元の家に未練が無いかと言えばあるけれど、じゃぁ転勤族の方々だって行く先々で思い出はある訳で。その方々だって未練はあるかもしれない訳ですよ。感覚的にはそんな感じなのかなぁ…。

 

周りもみんな普通に生活してますよ。もうじき田植えです。我が家の畑もじゃがいもや茄子など数種類の野菜を植えました😊今年はレモンの木を2本、ビニールハウスで育て始めました🤗

ここは、10年前と変わらない風景が戻ってますよ😊