お酒は楽しく飲みましょう
連続でお酒の話。
イチオシ蔵元、新潟の『加茂錦酒造』さん。
新潟には避難してないです。日頃通ってる酒屋さんで見つけました。
『荷札酒』はTVで観て気になっていたお酒で、これが実に面白いお酒です😊
『加茂錦』は既に完成されている日本酒です。しかし『荷札酒』は毎回違う味わいがあるお酒を出してきます。
なので、「前回のは旨口だったけど、今回は辛口系だ。」と言った感じで買う度に楽しめるお酒です😊
味に関しては、飲む人によって受け取り方に多少の違いがあるので、あくまでも個人的な感想です。
さて本題。
私の父親は重度のアルコール依存性です。本人は軽度の認知症なのでそれを自覚しているのか不明です。昔からお酒は好きな人でした。そんな父親が避難で家も職も失い、狭い仮設住宅での暮らしによるストレスで日に日に飲酒量が増加していくのを止める事が出来ませんでした。仕事をすればと提案しましたが、間もなく70歳になる人間を採用してくれる所もなく、本人も気力を失っていたので無駄でした。変なプライドがある人で、シルバー人材センターへの登録を勧めても「俺はそんなジジイじゃない‼️」と怒られました。ジジイなのに…😅
そんなこんなで気が付けばアルコール依存性。まぁ、いずれそうなるだろうと思ってましたけど、それに認知症が加わるとは思ってなかったです💦認知症の診断を受けた時「アルコールで脳が萎縮しているだけじゃ?」なんて聞いてしまったくらい、認知症は「まだ早いよ〜💦」って思いました。
現在父親は要介護3です。アルコール依存性に関して医者からは「今更お酒をやめさせるのは無理でしょう。本人の好きなだけ飲ませてみては?」とほぼ見捨てられた状態。ただ、父親はめっちゃ酒癖が悪い❗️その上認知症で今じゃ歩行も困難な状態。そんな人が朝からずーっとリビングで酒を飲み、母に介助されてトイレやお風呂に行ってるってもうどうなの⁉️って思います😱
父親は何かと威圧的な人でしたが、それは自分の弱さを隠す為で実は物凄く心が弱い人だったんだなと思います。だから、現実を直視出来ずに酒に逃げたんだと…。そして今だにそれを認めていないのが一番の問題点。自分が強者であると思い込んだまま認知症になってしまったから手に負えないのです。そう考えると、父も真面目な人だったのかも知れないですね。だから壊れた。違う病だけれど、私も壊れましたしね…。血は争えないのね😅
まぁ、私は今のところ持ち直してなんとかやってますが、父親はもう無理かな。あとは施設にお願いするしか道はないかも知れませんね…。
終わりに…。
皆さん、お酒は楽しく美味しく飲みましょう。「好きで飲んでるんじゃないんだ‼️」なんて言いながら飲むなんて、滅茶苦茶お酒に失礼だと思いますからね🤗
避難と日本酒
避難先で日本酒の美味しさを知りました♪
現在は服薬しているので月に数回少しだけ飲む位ですが、ひき逃げ事故に遭う前は弱いのに結構な酒呑みでした😅
避難先が日本酒の美味しい地域で地元の同僚に沢山の美味しいお酒を教えてもらいました😊
それまでは日本酒はほとんど飲んだ事がなかったんです。俗に言う、昔ながらの『淡麗辛口』ってヤツが苦手で、チェーンの居酒屋なんかにある日本酒を飲んでも「美味しい」と思った事がなかったんです。
それが今では、美味しい日本酒を求めて行きつけの酒屋に月2は通ってます。
正直言って私はそんなに飲めないので、私の影響で日本酒にハマったダンナさんの毎晩の楽しみとして購入してる感じです🤗
各地の日本酒を飲んでみて、私がたどり着いたのは『会津娘』。手頃な値段ながらまさに「お値段以上」の味わい。昔ながらの感じを残しつつもとても旨口な酒です😊
もちろん、お高い酒やプレミアムが付いている酒は間違いなく美味しいですが、気軽に飲めて美味しいお酒なら、これがイチバンお勧め品かと思います。
個人的には「純米吟醸」や「純米大吟醸」より「純米酒」が好きなので『楽器正宗』がイチバン好きなんですが…😅日本酒好きな方ならこちらかなぁと。
ちなみに私は日本酒よりウイスキー派です🥃芋焼酎や泡盛も大好き❤夏は絶対ビール🍺
服薬がなかったらガンガン飲むんですけどね😅
メンヘラなのか…
『メンヘラ』…いわゆる精神疾患者ですね。因みに写真は内容と全く関係ありません。
精神疾患(主に躁鬱)治療を途中で止めた私は、疾患が完治しているか分かりません。「精神疾患は完治しない」とも言われたりしますから、多分治ってはいないです。
精神科への通院を途中で止めた1番の理由は『お金が無くなる』からです。
精神科に通院している人間を雇ってくれる企業様など皆無に近いですよ…。しかし、通院するにも子供が通学するにも生活にはお金がないと困る訳でして…。
精神科に通院時はもう再婚してましたけど、主人が毎回通院に付き添えば有給はなくなり給料は減る訳で…。じゃあ1人で通院するかなってなった時、1人で通院出来るなら大丈夫なんじゃね?って思って。だったら行かなくていいんじゃね?ってなって。じゃあ仕事しよう!って仕事始めたけど職場で精神疾患がバレて辞める事になる。そんな事を繰り返して現在無職に至ります。
フルタイムがダメならと短時間パートにも行ったけどやっぱりダメなんですよね〜。
そもそも身体に障害がある上に精神疾患もあるっていう状態なので、どちらかが不調になると比例してもう片方も悪くなるんですよ。
身体的不調を薬で無理矢理抑えて仕事続けると、疲労とストレスがMAXになりそれまで隠れてた精神疾患が顔を出してくる😅心と身体は一心同体なんだなぁ…と、病気になって改めて実感しましたね。
精神科に通院していた時、主治医に「真面目な人ほど精神疾患になりやすい」と言われ「え?私って真面目な人間なの?」ってダンナさんに聞いたら「貴女は真面目な人だよ」と言われてビックリしました。だって自分はいい加減な性格の人間だと思っていたので、私を良く知っている主人の返答は予想外でした😵
「そう思ってる人ほど真面目なんですよ。本当に適当な人は自分を適当な人間だなんて思ってませんから」って主治医に言われて「確かに、高田純次さんって実はマメな人なんだよなぁ…」と思ったのを覚えています😅
世間様で『メンヘラ』と言う言葉が流行り出して(流行語なのか?)随分経ちますが、俗に言う『メンヘラ』さんと、精神疾患者は若干違うと思ってます。だって精神疾患者は自分を「私、病んでるから!」っ周りに言いふらしたりはしないと思うんですよ。私だって身内にしか「精神科通ってます」って知られてなかったです。「私、躁鬱です🤗」なんて笑顔で言える話じゃないでしょう😅自分は普通だ、大丈夫ですって顔してますよ。今もですけどね…。
まぁ、隠す必要がない方もいるんでしょうが、一般社会で仕事して暮らしていく為には隠す必要がある方の方が多いのでは…?私は勤め先には身体障害の方は申告しても、精神疾患はひた隠しにしてましたよ。結局は毎回バレてクビになるんですけどね…😅精神疾患者に対しての世間の風は、まだまだ冷たく強風であります😢
『メンヘラさんが主人公のゲーム』とかがやたら多く出ていますが、あの手のゲームの主人公はもう『メンヘラ』と言うより『猟奇的殺人者』ですよ💦『メンヘラ』の使い方間違ってる気がするのは私だけ⁉️あれが世に言う『メンヘラ』ならば、私は「至ってまともな人間です!」と、声高に宣言しますよ😤
皆さんの周りに、「私、メンヘラです❗️😉」的発言をされてる方がいらっしゃいましたら、間違いなく一般常識人です。
天気と体調
本日は荒れた天気となっています。こんな日はウチの中でゴロゴロしているしかないですね。ワンコ達と一緒にダラダラしてます。
「天気痛」と言う言葉は、最近は良く聞く様になりましたよね。まぁ昔から「雨の日は古傷が痛む」とか言ってましたね。私も天気に体調が左右されます。
脳脊髄液漏出症の諸症状と左腕の痛みの強弱の原因を自分なりに色々調べているのですが、私が症状が酷くなる原因として悪天候も一つですが、気圧の谷と等圧線の間隔が混み合うと悪くなる傾向にあるなと感じています。
単純に雨降りや低気圧で不調になるという事ではないみたいで、晴れてても気圧に波がある時の方が絶不調です😢
なので私のスマホとタブレットには、ウェザーニュースの3時間毎の気圧予報サイトがブックマークされてます。それと気象庁の気圧配置図も毎日数回チェックしています。天気が良いか悪いかではなく、気圧配置はどうなっているのかが最重要です。それを見て、行動予定を立ててます。
田舎暮らしなので、運転は必須です。しかしながら不調の時は運転出来ないと言うか、起きてるのも苦痛なので数時間毎に気圧配置を確認しながら「この時間なら買い物いけるかな?」とか「これじゃ今日は銀行は間に合わないな…。」とか、気圧の隙間を見計らっての行動は結構大変です。特に金融機関は15時に閉まるので、もっぱらネットバンキングを使います。どうしても店舗に行かないと出来ない場合、しかも期限付きの場合は期限日までの期間の気圧配置を調べて入念に計画を立てます。
しかし、天気は常に変わるもので、予報が外れる事もしばしばあります。ですから常に時間に余裕を持って行動するように心掛けてます。
全ての事がネットで完結してくれると大助かりなんですけど、日本はまだそこまでネット社会が確立されてないかなと…。
ま、麻酔注射がネット購入で誰でも打てる世の中になったらちょっと怖いか…😅重い病気は怪我は、やっぱり病院行って医者に診てもらいましょう😊
また話が逸れましたが、私を含め天候に左右される体調の方々、周囲がそれを分かってくれる事が1番大事な部分ですよね。
私なんかホント、見た目は『普通』なので、事故後に働いてきた職場の中には「仮病」と言われてる事もありました。事故に遭ったのを知らない人が大半なのでいちいち説明が大変で🥺それでも納得してもらえない場合が多くて結局は仕事辞める事になるのの繰り返しで現在無職。スキルはあっても資格がない障害者のアラフィフさんは再就職するのかなり大変です💦でも仕事したいんですよ…。お金欲しいんで💴
こんな私を雇ってくれる心優しい職場はありませんかね?事務経験もあるので資格はありませんが最低限のPCスキルはあります。在宅勤務希望ですが…🙇♀️🥺
仮設住宅の今
昨年の秋に撮影してきたもので、今はもう撤去されているかも知れませんがこちらが私達一家が住んでいた仮設住宅になります。
間取りは、風除室を入ってすぐ手前側にキッチン。キッチンの右側奥に洗濯機置き場があり、左にお風呂とトイレが別で並んでます。脱衣所はなく、玄関ドアを開けたら丸見えなので衝立を置いてました。その奥に4畳半と6畳の部屋があります。
1列に10部屋並んでいる長屋の1番奥の部屋でした。隣は両親で、数ヶ月後に6畳間の壁の1部分を壊し、パネルドアで繋いでもらいました。
断熱、防音性は想像通りで、列と例の間隔は乗用車1台分の幅。ご近所さんの生活音が全て聞こえてました😅
父の実家である被災地に引っ越すまえに借家暮らしをしていましたが、ここまで酷い環境ではなかったと記憶してます。
滅多に雪の降らない地域から雪国に飛ばされ、その年は例年にない豪雪。除雪量が半端ない上に、隙間風が入ってエアコンの暖房じゃ歯が立たない部屋での冬場は正直泣きそうでした🥲
就職先が見つかり、ある程度生活の見通しが立てられる様になるまでの約1年半、ここで暮らしました。
子供達を1日も早く『普通の生活』に戻す為、慣れない雪道運転で、何度タイヤがスタックしても側溝に落ちたりしても、めげずに片道約15キロの道のりを通勤しました。
仮設時代は、元のご近所さんが同じ長屋に住んでいたのが唯一の救いでした。
子供達が騒いでも多少は大目に見てもらえた環境ではありましたが、なにせ皆さん田舎の広々としたお宅に住んでいましたから。敷地面積数百坪の農家の家の方が、いきなりこんな長屋生活ではかなりのストレスなのではと思ってました。実際我が家だって窮屈だと思ってましたし、他家の生活音が全て聞こえてくるって言う事は自分のところの生活音も聞こえているって言う訳で、それが1番嫌でしたね😭
なので私は、一刻も早くここを出て行こうと必死に働き、1年半でようやく住宅ローンが組める様になったので職場付近での格安物件を探して購入し、引っ越しを機に子供達を地元の学校に通わせる事にしました。家を買った以上、この地に永住する覚悟でいましたから。
残念だったのは、両親がこの地での永住に反対だった(雪国には住めないとの事)為、これを機に別居になってしまった事です😢この時既に現ダンナさんと再会はしていますが、まだ再婚していません。する予定もなかったし、そもそも付き合ってすらいなかったです😅なので私は家族5人で暮らす達の家を買ったんですが、結局はひき逃げに遭って仕事クビになりローンが払えなくなったのと、腕に障害が残った事で雪国での暮らしに無理が生じてきた為、両親が引っ越した温暖な地域に我が家も引っ越す事になるのですが…。
仮設があった地域には、米農家をしている古くからの知人がいて、震災以降その方からお米を買っています。なのでこの写真は新米を買いに行った時に撮ってきました。この地域はお米がめっちゃ美味しいです😊なので日本酒も美味しいのが揃ってます❗️
コロナ禍で外出が難しい時期ですが、お取り寄せも出来るお店もあるので良かったらお米や日本酒を買って味わってみて下さい。『福島県会津地方』です。寒いけど、住んでる人達は暖かい方々です😊
被災地
我が家のある場所は、『1F』とか『福1』なんて呼ばれている例の原発から20キロ圏内のいわゆる『被災地』です。
元々住んでた場所は未だ入れない場所にあり帰れません。
しかし、里山の田舎暮らしじゃないと生きていけない私と避難先で原発関連のイジメを受けた我が子の為にあえて近場に戻って来ました。
ここは全町内で除染は終わり、自家野菜も無料で線量検査してくれます。売っている作物には検査結果が記載されてあり、山のキノコ類はまだ食べれないけど、ウチで作った作物も今まで規定数値を超えた事がありません。地元では地域作物の『安心安全』を第一にして積極的に検査をしてくれます。だから安心して地元作物を食べてます。逆に「検査していない他県の作物って大丈夫なの?」って思っちゃうくらいちゃんとしています。
住民は7割程度帰町しています。他県からの移住者もいます。我が家みたいな未だ帰れない地域住民も結構住んでます。自然豊かで静かなここの環境は、人に溢れた場所に疲れた方にはとても魅力的な場所だと思います。
もちろん、今後原発に何も起こらないと断言は出来ません。我が家から20分も車で走れば廃炉作業中の原発が見えます。
それでも地元付近に帰って来たのは、私が地元が好きだからと、ここなら子供が原発関連のイジメに遭わないからです。
ここに引っ越して来て約2年。上の子は、この家に引っ越す前に進学で他県に移りました。
下の子ももうすぐ、ここから100キロ以上離れた場所に進学の為移動します。
我が家は4回引っ越しをしています。避難所から仮設住宅。仮設から一軒家。家があった市から別の市に避難先を変えた際の引っ越し。そして今の家に。最初の避難や避難所の移動を含めたら7回になります。
家は今の家を含めて3回購入しています。全て中古です。しかも最初の家はローンを組んで買いました。避難先で就職した私が、人生初のローンを組みました。その家も、ひき逃げ事故で手放す事になり、両親の勧めで現在両親の家がある地域へ引っ越し。両親宅から車で5分の住宅地に中古一軒家を購入します。私が入ってた『東京海上日動火災』から出た保険金の半分以上を使いました。
しかし、そこで子供が原発関連のイジメに遭います。上の子は比較的軽く済んだのですが、下の子は酷いイジメでした。陰口なんてカワイイ方で、物は隠される破かれる、1番最悪だったのは突き飛ばされての骨折です。それを学校側は「子供同士の悪ふざけによるもの」で終わり。教育委員会まで行きましたがこちらもうやむやにされて終わりでした。
イジメ発覚当初はウチの子も「学校に行けなくなるのは嫌だ」と言って我慢していましたが、そのストレスが体調に現れ、頭痛、腹痛、過食に拒食。最終的に引きこもって「学校に行きたくない」になりました。当たり前ですよ。今までよく耐えたと褒めてやりましたよ。
その当時は私もメンタルズタボロで、「我が家がこうなったのは全て自分のせいだ。」と考えていたからか社会不安障害、躁鬱病になり、精神科に入院したりもしました。子供同様に過食に拒食。リストカットに薬物の大量服用などで我が家には救急車が頻繁に来ていて、最終的に警察まで来ました。
そのせいで、私の母が様子見に毎日我が家に来ていました。認知症の父の介助に加えて娘と孫の世話。このままじゃもうみんなで死ぬようだ…。そんな日々の中で思ったんです。「帰ろう」って…。
そう思ってからの私の行動は早かったですよ。ネットで超格安物件を探し出し、保険金の残りほぼ全てを使って今の家を購入。思い立って僅か半年で引っ越しました。
子供の編入手続きも神対応。こちらの学校は「大変でしたね。でももう大丈夫です。ここの学校の子達はみんな同じですから。」と、スゴく中途半端な時期の編入でしかも前の学校からの編入手続きの書類に不備や遅れがあったのにも関わらず、とても暖かく迎えてくださいました。
こうして我が家はようやく安住の地に辿り着いたのです。そこは故郷のすぐ側。引っ越しに関しては「子供を連れて行く場所じゃない」なんて意見が身内から出たりしましたが、この町の義務教育以下の年齢人口は1000人を軽く超えています。出生率も年々増加中で町には子供達の笑い声が響いています。教育体制も抜群に良いですよ。生涯学習に力を入れ、タブレット学習も早くから取り入れていた授業は、このコロナ禍でも遅れは無しです😊他地域の有名進学校への合格者多数。ウチの子も、春から看護学校に進学します。
10年経って未だ帰れない元我が家の様な場所もあるけれど、少しずつ復興している地域もあります。今住んでる所は現在進行形で復興してます😊
都心に住んでたって地方に住んでたって、子供の可能性は変わりません‼️どこに住もうが未来は切り開けます☺️人それぞれだと思いますが、もし都心でツラい思いをしているなら、田舎で伸び伸びとしてる方が、子供の力を付けてあげれると個人的には思ってます😊
写真は我が家の前の田んぼ道。私は身体的理由で庭くらいしか外に出ませんが、家から一歩出るとこんな風景がどこまでも続いてます。お三方は毎日の散歩が大好き❤アスファルトよりも未舗装の道の方が楽しいみたいです😊
自然って、人だけじゃなくペットにも大切なんですね。って、当たり前ですよね、動物なんだから😅