心と身体に障害を持つ人の日常〜人生紆余曲折〜

震災原発事故被災後にひき逃げ事故の被害者になった人間の日々です

精神科病棟

 

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11日の夜寝る前に、上の写真を見て和んだあとに開いたSNS

「入院します。しばらく連絡とれません。」という、5年前の自分の書き込みを発見。

…oh、これは精神科病棟に入院する直前の書き込みだぁ…💦

 

そっかぁ…もう5年前になるのか…。1ヶ月半入院した精神科病棟…。

通院したその日に即入院になったあの日、3月10日。

6回目の引っ越し先で精神を壊滅的に壊した私はそこの家で過ごした記憶が断片的にしかありません。

引っ越ししたての頃は、新天地で頑張らねばと自分に言い聞かせ気持ちを上げていました。何より、両親が近くに住んでいるから気を引き締めていかなければと思っていました。

しかしながら、気持ちとは裏腹に子供達のイジメ問題やら、周りからの偏見の目が徐々に私の精神を追い詰め、その時通院していた心療内科での約1ヶ月分の処方薬を一度に飲む、市販の風邪薬や鎮痛剤の大量摂取、深夜徘徊、リスカを繰り返す様になり最終的に心療内科では手に負えなくなり紹介された精神科へ入院する事になりました。

その頃の事を、私自身はよく覚えてないんです。心療内科から処方される薬の影響で頭がボーっとしていて、何も考えられない状態でただ家の中に閉じ籠っていました。

ふと我に帰ると途端に異常行動を起こし、警察や救急車には大分お世話になってしまいました。お陰で住んでいた付近では有名人でした😓でも、当の本人は殆ど覚えてません😅

私は24時間目が離せない危険人物と化し、母がほぼ毎日来ていました。父は激怒し子供達も学校での仕打ちに加え母親がおかしくなってしまった事に落胆。ダンナさんも仕事どころではなくなりかけ、家族崩壊寸前でしたね😱

 

書き込みしたのは3月11日でしたが、確か10日の午後だったと思います。紹介された精神科に通院。先生と何を話したかはよく覚えてませんが、只々「もう嫌なんです。次の日が来るのがツラい。永遠に眠っていたい。」的な発言をした気がします。で、即入院しました。

書き込みは3月11日の午前中。確か10日の日は檻の中にいた記憶があるので、翌日出してもらったあと、面会に来たダンナさんといる時に投稿したと記憶してます。なにせ当時の記憶がホントにあやふやなので💦

この時、ダンナさんの職場が遠方だったので犬と子供達は両親宅に預けていました。

精神科病棟って、症状の度合いや年齢などによって病棟が分けられている様で、私は比較的軽度な患者さんが入る病棟でした。他の病棟の方たちとは会う機会がないし、基本的に個人行動は出来ないので各病棟を探索する事は出来ません。ただ、中庭があって天気の良い日は洗濯物を干したり庭でお茶を飲んだりする事は出来ました。

お風呂は基本共同で時間制。週2のペースで入れますが、シャワー室が別にあってそこは申請すれば消灯前までならいつでも使えました。大部屋の他に一般個室と浴室が付いている個室もあり、私は最終的に個室に移りましたが、檻から出て2週間は部屋に監視カメラが付いていて、外からしか施錠出来ない特別個室でした😓

 

震災から約1ヶ月後に『パニック障害』を発症。度々過呼吸を起こす様になり症状は悪化する一方。入院時の診断は『躁鬱病社会不安障害』等やたらと色んな病名が付いていました。

過食症にもなり、1ヶ月で体重が15キロ増加。本人自覚無し。入院後の検査で血中コレステロール値が尋常じゃない程の値を出して食事が普通食から療養食へ変更。日中の間食も禁止。飲み物もお茶か水。そんな生活を送った結果、退院時には11キロ減ってました。

 

現在、そこの病院には通ってません。理由は以前書いた通りです。ですが、あれからさらに体重は落として今はマイナス16キロ。それでも震災前より10キロ以上増えているので、震災以降会ってない元同僚とかには今の姿を見られたくないかも💦

 

今は大分落ち着いてますが、精神疾患は完治が難しいと言われています。私も未だ感情には波が激しくあります。

それでも、少しずつ前向きに進めているのは、子供達の将来への考えがしっかりと確立されているお陰だと思います。子供達が間違いなく進んでいる事が私の救いです。

 

人間、生きていれば誰しも苦難はあると思います。それの大小を競っても仕方ないし、比べるモノでもないですしね😑