心と身体に障害を持つ人の日常〜人生紆余曲折〜

震災原発事故被災後にひき逃げ事故の被害者になった人間の日々です

心と身体は比例する

今月に入ってから、口内炎に悩まされています😰

上下のくちびるの裏側に6ヵ所。日に日に悪化してしまい、先日の電話診察の際に薬を処方してもらいました。

今までもたまに口内炎が出来る事はありましたが、こうも長引いていて悪化の一途を辿っているのは初です。

飲み薬は今までと同じ上にもう2年以上服薬している訳で、薬で口内炎が出来たとは考えにくく、考えられるのは疲労とストレス。主治医もそうかな?って言ってました。後、ダンナさん入院中で通院出来ないのも要因かなぁ…。

 

で、疲労とストレスの1番の原因が父の存在。

実の父親が他人よりも1番気を使う相手であるのはいかがなものかと思いますが、外ヅラと偏見と我が儘の塊みたいな父とは年を重ねていく内にどんどん溝が深くなりました。

 

父をハッキリと嫌いになった決定打は、私の事故の加害者と談笑していたと言う話を聞いた時。

「ああ、あの人はそんな相手にもいい顔をするんだ。」

と、絶望感に近い感情を抱いたのを、7年経った今でもハッキリと覚えています。その時から、私の中で父は『身内だけど他人』になりました。

 

震災後、職を失った父に代わって一家5人を養おうと必死になってきた私ですが、それ以降両親と少し距離を置く様になりました。家の事も「子供だけ守っていこう。」と決め再婚しダンナさんの姓に。ダンナさんは私の姓を名乗ってもいいと言っていたのですが、外ヅラと体裁ばかり気にする父に嫌気がさして嫁に行きました。

 

母には悪い事をしたと思っていますが、母も他人と暮らす事に抵抗があったので「これでいいんじゃない」と言ってました。まぁ、私の1回目の結婚が婿養子で失敗しているので2度も嫌だったのかな?って思ってますが…😅

 

そんな父親が現在、母と敷地内の離れ(トレーラーハウス)に住んでいます。頻繁に顔を合わす事がこんなにも負担になるとは…、予想通りでした😱

 

思わぬ形でダイエット状態です😭

『避難者』『被災地』『被災者』はいつまで?

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庭に植えた枝垂れ桜に鳶が止まる夕暮れ時。月も浮かんでいるベストショットは去年のものです。

今の家に越してきて2度目の春。今年は桜の木に鳶は来ませんでした😢

外犬のシバ子(柴犬)が来たのが去年の5月だから、今年はシバ子を警戒しているのか上空に姿は見えれど我が家の庭木に止まる事はないです。

シバ子が来てから、野生動物の姿も余り見なくなりました。

引っ越して来た当初は、ウチの田畑にもイノシシの足跡があったのですが、シバ子のおかげかなくなりました😊

隣の家は作業員宿舎として使われていましたが、先日空き家になりました。

ハウスクリーニングが来ていたし、また誰かに貸すのか売りに出るのか分かりませんが当面は静かそうです。

 

我が家のある場所は、いわゆる『被災地』なのですが、元々何もない自然豊かな田舎町なので、震災前から何が変わったのか正直言ってよく分からりません😅

人口が減ったと言いますがそれほどでもないし、あのまま震災が起きなかったとしても対して変わらなかった気がします。

変わった事と言えば、原発で働く地元の人が減った事。それだって元々は地元の人じゃなくて、原発で働くのに移住して来た人で、原発が出来る前からずっと地元に住んでいた人は意外とみんな戻って来てたりする。戻って来れない人は、避難先での生活に基盤が出来たから。子供の学校や自分の仕事がそちらで定着すれば戻って来る理由がないし。むしろ戻って来れないですよ、遠方に行った方が戻って来て、こちらから何時間もかけて職場に通勤するメリットが見つからなければ無理ですよ。仕事辞めてまたこっちで再就職するのだって、廃炉関連の仕事が8割の場所で安心安全な仕事を探すのは大変だと思いますよ。

 

なので、これと言った縁もなくこの地にl引っ越して来た我が家は多分レアなんだと思います。まぁ、全く縁が無い訳ではなくて、同じ『被災地』に住んでた『被災者』で、未だ帰還困難区域に家がある『避難者』ですから。なにせここから元の家まで車で20分位の同じ郡内だしね😁

 

ところでこの『被災者』とか『避難者』って言い方、いつまでなんですかね?

10年の節目とか言われてますが、未だ我が家は『避難者』に数えられる訳で…。

住んでる家も持ち家なのに『避難者』って…。

『被災した』『避難した』と言う事実は生涯変わらないけれど、『被災地』『被災者』はまぁ仕方ないとしても、『避難者』はそろそろやめたいですね😓そんな感覚、もうないからねぇ。『避難している』って感覚はないですよ。確かに元の家は帰還困難区域にあるけれど、10年も経てば普通に暮らしてる訳で。元の家に未練が無いかと言えばあるけれど、じゃぁ転勤族の方々だって行く先々で思い出はある訳で。その方々だって未練はあるかもしれない訳ですよ。感覚的にはそんな感じなのかなぁ…。

 

周りもみんな普通に生活してますよ。もうじき田植えです。我が家の畑もじゃがいもや茄子など数種類の野菜を植えました😊今年はレモンの木を2本、ビニールハウスで育て始めました🤗

ここは、10年前と変わらない風景が戻ってますよ😊

入院

ダンナさんが入院しました。

数年前に受けた膝の人工関節手術の経過が芳しくないらしく、内視鏡での手術を受ける事になりました。

本当はもう片方の膝の調子も悪くなってきたので受診したのですが、取り敢えず人工関節の方から治療して良くなったら反対の膝の手術になります。

という事で、我が家は当面の間収入がゼロになります😱

現在私がリモートワークを絶賛検索中ですが、中々見つかりません😭しかもそんなに稼げる仕事がない😱頑張っても10万いくかな?位の稼ぎにしかならない。事務職経験が無いのが痛いです😭一通りPCは使えるけど資格持ってないし…😭先日オンライン会議も経験したので今後は職探しの相談もオンライン説明会とかに参加したりしてみます。とにかく一銭でも稼がないと💦

 

そんな状態な中、父親の断酒も継続中。相変わらず毎日毎日、「お酒買って来い‼️」攻撃を受けています😓父親も飲めずにストレスMAXでしょうが、こちらもストレスMAXです。日に日に疲弊してます😰

 

色んな事が一気に押し寄せています。

私もストレスで口内炎が5ヵ所出来ました。段々と口を開けるのも痛くなってきています。それでも食べなきゃ倒れると思い無理矢理口開けて食べてるからますますひどくなってますね😓

以前にも同じ状態になった時があります。その時は最終的に食事が出来ない、そもそも口が開けなくなる程悪化させてしまいました。昔からストレスが積もると口内炎が出来てしまうので気を付けてはいるのです。暴飲暴食はしてないですよ。

精神病んだ時に過食症になって、脂質とコレステロール値がとんでもない数値を叩き出して医者に「このままじゃ死ぬよ?」と脅かされて以来食生活は一応気にしているのです。

あの時は入院中ずっと脂質抜きの食事して、退院時までに体重を10キロ以上減らしたからね。血液検査もクリア出来たし、あれ以来毎年健康診断の血液検査はめっちゃ気にして見てて、少しでも脂質やコレステロール値が高めだったら食事制限したりしてるんですよ。

 

なのに、口内炎が出来ます。これはもう完全にストレスが原因。

今回もこのままいくと間もなく食事が出来ない程に悪化するだろうなと予測してます😰

 

ダンナさんが退院して経過が良ければ次は私もの3回目のブラッドパッチも予定されているのに、この状態で出来るかどうか怪しいですね😰

 

あぁ、どうせなら父親が入院(入所)すればいいのに…(あ、心の声が…)🤐

断酒開始

日曜日の午後、両親を連れて来ました。

案の定、家に着くなり「酒買って来い。」でしたが…😓

認知症もある父には、同じ事を毎回説明しなくてはなりません。

アルコール依存症の治療を兼ねて我が家に滞在する話は来る前に話をしてましたがやはり忘れてます。

「我が家にお酒はないし、買っても来ませんよ。」とキッパリ宣言しましたが、今日まで何回「お酒買って来い。」と言われた事か…😱

そんな状態ながらもなんとかお酒を飲まずに過ごしています。今日で3日目、少し手が震えてますが頭はハッキリしているみたいで話し方がしっかりしています。

 

父が我が家に来てもディサービスには行ける様に前もってお願いしていたので、今週から週2回通えて早速行って来ました。温泉付きの施設なので父も「お風呂が良かった」と言っており、出だしは好調かな?向こうでディサービス利用は嫌がっていたので不安でしたが、こちらは元々住んでいた地域の方しかいない施設なので割と合っているのかも知れないです。職員さん達が私を知っている人が多いのも、知り合いにいい顔する父には合ってたのかも…😁

 

何はともあれ、依存症の怖さはこれからだと思います。

徐々に禁断症状が現れてくる事が予想されます。手の震えだけじゃなくて精神的な問題が発生する事も予想して、父の目の届く所に危険な物を置かない様に気を付けてます。

 

それと同時に、母にも「あまり父に構い過ぎない様に」と助言しています。

お互いの関係性を構築し直す必要があるので、母にも考えを改めてもらう事が大事です。

 

精神疾患の治療には、家族の理解と支えが大切です。今まで母は「やめてほしいけど仕方がない」と言ってお酒を買って来ていました。その意識を「絶対に飲ませない」と言う強い覚悟に変えてもらいます。その為には、母の精神的負担を減らす必要がありその為に我が家に来たんです。

母にも、我が家に来て好きな事を出来る時間を増やして少しずつストレス発散してもらえればと思っています。

 

まぁ、アルコール依存症が改善出来たとしても認知症が進んでしまったら父は施設入所になるかと思います。なのでその日が来る前までは、アルコールのせいで日常生活に支障をきたす事なく楽しく暮らしてほしいのです。

 

親子関係なんて、簡単に切れる縁ではないですからね。父親とは嫌な思い出ばかり、でもほんの少しは楽しかった思い出もあるんです。それが親子ってものなんですかね…😑

 

ああ…、早く入所してくれないかなぁ…(これが本音😅)とは言えません🤐

 

『病気』だと言う自覚

私の父親はアルコール依存症だと言う話を以前書きました。

 

その後、比較的我が家から近い病院でアルコール依存症の治療をしている病院があるのでそこに転院させて治療を受けさせようと動いていましたが、コロナ禍の為に新患の受け入れをしておらずその病院での治療は不可能に…😰

 

どうしたものかと、現在通院している精神科のソーシャルワーカーさんと話し合いながら、ケアマネさんと私のダンナさんに協力を頼みました。

 

苦渋の決断です。正直言って物凄く嫌です。それでもこの状況を打破する為に、ソーシャルワーカーさんも医師も言った「環境を変えるのが1番効果的です。」を実行するべく両親を我が家に連れて来る事にしました。そして、父親を断酒させます❗️

 

この決断、先ず母親を説得させるのが大変でした。私も通院やらなんやらで家を空ける事があるので、父親だけを連れて来る訳にはいかないのです。

こちらに来てもディサービスには通える様に手筈は整えましたが、週2回です。それ以外の日は家にいる為、父親以外の人間が誰か1人は一緒に居ないといけません。ダンナさんは来週末から入院。私は身体障害があるので、万が一の時に父親の介助が出来ません。そうなるとやはり母親にも来てもらわないと困るのです。

 

しかも、父は私の『脳脊髄液漏出症』という疾患に全く理解がない為、横になっている私を見て怒ります。「何もしないで昼間から横になってるなんて、随分といいご身分ですなぁ。」などと嫌味をブチかましてきます。左腕の痛みや動きの制限も「お前の気力が足りない。」と言う始末。正直言って本当に来てほしくない。けれど、向こうで何かある度に呼び出されたり、電話してきてまで嫌味を言われるのも既に限界です😱とにかく、父親のアルコール依存症に付き合うのはもう無理です。

 

なので今回、私自身相当なプレッシャーの中での生活を送る事になってしまうのは覚悟の上で挑みます。

最悪、あまりにも酷かったら警察呼びます。施設入れます。母親にも言いました。本当にお酒やめてほしかったら、それくらいの覚悟を持ってほしいのです。そうじゃないなら我が家に頼って来るなと言う話です。貴女も大変なんだろうけど、私だって相当大変なんだと分かってほしい。

家族にとって、残念ながら父親はガンです。

あの人がいると気持ちが休まりません。24時間ストレスに耐えて過ごさなければならないんです。いるだけで眠れなくなる程にストレスの元凶なんです。

 

…話が私の愚痴になってきましたね…、すみません🙇‍♀️

 

要は何が言いたいんだって事で、それは「父親も病気だけど母親も一種の病気である事に気付こう」と言う事です。

あの2人を見てると、DVの加害者と被害者に見える…。

なんでも暴力(言葉も含む)で解決しようとする父と「私がしっかりしていれば」と、それに対して自分を責める母。

これってどう見てもそう思いませんか?私だけじゃないですよね?いくら昭和初期生まれだからってちょっとおかしいですよね?

しかも、本人達がそれを自覚していない。だから今回、ウチに来て自覚してほしいんです。「2人共間違っている」と言う事に。

 

どんなに抗っても、私の両親はあの2人な訳で。どんな親だろうと見捨てる事は出来ません。でも、私は結局父を見限って施設に入れる道を選ぶと思います。自分が壊れたくないので…😰私は母親程優しくも我慢強くもないので、早々に決断するでしょうね😓

 

でも、最後に言わせて下さい。

「施設入所は悪い事ではありません。高齢者福祉施設に身内を入所させる事にマイナスイメージを持たれている方がまだまだ多い日本ですが、家族にとって必要ならばそれは正しい選択なんです。施設入所して助かっている方は沢山居ます。ですから、今まさに身内の施設入所に悩んでいる方がいらっしゃる様でしたら心から言いたい。その決断は良い事です!」

『病気』だと言う自覚

私の父親はアルコール依存症だと言う話を以前書きました。

 

その後、比較的我が家から近い病院でアルコール依存症の治療をしている病院があるのでそこに転院させて治療を受けさせようと動いていましたが、コロナ禍の為に新患の受け入れをしておらずその病院での治療は不可能に…😰

 

どうしたものかと、現在通院している精神科のソーシャルワーカーさんと話し合いながら、ケアマネさんと私のダンナさんに協力を頼みました。

 

苦渋の決断です。正直言って物凄く嫌です。それでもこの状況を打破する為に、ソーシャルワーカーさんも医師も言った「環境を変えるのが1番効果的です。」を実行するべく両親を我が家に連れて来る事にしました。そして、父親を断酒させます❗️

 

この決断、先ず母親を説得させるのが大変でした。私も通院やらなんやらで家を空ける事があるので、父親だけを連れて来る訳にはいかないのです。

こちらに来てもディサービスには通える様に手筈は整えましたが、週2回です。それ以外の日は家にいる為、父親以外の人間が誰か1人は一緒に居ないといけません。ダンナさんは来週末から入院。私は身体障害があるので、万が一の時に父親の介助が出来ません。そうなるとやはり母親にも来てもらわないと困るのです。

 

しかも、父は私の『脳脊髄液漏出症』という疾患に全く理解がない為、横になっている私を見て怒ります。「何もしないで昼間から横になってるなんて、随分といいご身分ですなぁ。」などと嫌味をブチかましてきます。左腕の痛みや動きの制限も「お前の気力が足りない。」と言う始末。正直言って本当に来てほしくない。けれど、向こうで何かある度に呼び出されたり、電話してきてまで嫌味を言われるのも既に限界です😱とにかく、父親のアルコール依存症に付き合うのはもう無理です。

 

なので今回、私自身相当なプレッシャーの中での生活を送る事になってしまうのは覚悟の上で挑みます。

最悪、あまりにも酷かったら警察呼びます。施設入れます。母親にも言いました。本当にお酒やめてほしかったら、それくらいの覚悟を持ってほしいのです。そうじゃないなら我が家に頼って来るなと言う話です。貴女も大変なんだろうけど、私だって相当大変なんだと分かってほしい。

家族にとって、残念ながら父親はガンです。

あの人がいると気持ちが休まりません。24時間ストレスに耐えて過ごさなければならないんです。いるだけで眠れなくなる程にストレスの元凶なんです。

 

…話が私の愚痴になってきましたね…、すみません🙇‍♀️

 

要は何が言いたいんだって事で、それは「父親も病気だけど母親も一種の病気である事に気付こう」と言う事です。

あの2人を見てると、DVの加害者と被害者に見える…。

なんでも暴力(言葉も含む)で解決しようとする父と「私がしっかりしていれば」と、それに対して自分を責める母。

これってどう見てもそう思いませんか?私だけじゃないですよね?いくら昭和初期生まれだからってちょっとおかしいですよね?

しかも、本人達がそれを自覚していない。だから今回、ウチに来て自覚してほしいんです。「2人共間違っている」と言う事に。

 

どんなに抗っても、私の両親はあの2人な訳で。どんな親だろうと見捨てる事は出来ません。でも、私は結局父を見限って施設に入れる道を選ぶと思います。自分が壊れたくないので…😰私は母親程優しくも我慢強くもないので、早々に決断するでしょうね😓

 

でも、最後に言わせて下さい。

「施設入所は悪い事ではありません。高齢者福祉施設に身内を入所させる事にマイナスイメージを持たれている方がまだまだ多い日本ですが、家族にとって必要ならばそれは正しい選択なんです。施設入所して助かっている方は沢山居ます。ですから、今まさに身内の施設入所に悩んでいる方がいらっしゃる様でしたら心から言いたい。その決断は良い事です!」

巣立ち

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我が家の枝垂れ桜も花を咲かせています。

 

明日、我が家から巣立つ下の子ちゃん。目標に向かって進む我が子を嬉しくも寂しい気持ちで送り出します😭

これで子供達全員が我が家から巣立ちます。

とは言え、どちらもまだ高校生なので寮生活です。寮の管理人さんや学校の先生を始め、沢山の大人の方々が見守ってくれて生活していきます。

上の子は、規律の厳しいちょっと特殊な高校に行っているのでほぼ心配なしですが、下の子は一般的な高校の寮生活なので正直少し不安ですね😓

まぁ、下の子も通う学科は看護科で、5年一貫教育だから少しだけ珍しいですかね?

 

なんにせよ、どちらも15歳で目指す道を決めて進み出したのには本当に感心しています。

私なんか「面倒くさい」と言う理由で楽な高校に決め、高卒で就職後は3〜4年周期で職が変わり、なんとなくで結婚し離婚し、震災・原発事故で被災して、気が付いたら身体障害者になってしまったという感じ😅振り返れば「先ずは真面目に高校を選ぶべきだった。」と後悔しても今更な訳で…😰

 

だからこそ、子供達には中学に入って直ぐから「将来の目標を明確に持ちなさい。」とひたすら言い続けて来ました。

その甲斐あってかそれとも余りにもしつこく言っていたので仕方なくかはわかりませんが、早々に目標を決めて見事に達成しました。

まぁ、上の子は後2年後の試験合格、下の子は5年後の国家試験に合格して達成ですが、とりあえず第一関門は突破です😊

 

『鳶が鷹を生む』なんてことわざがありますが、正にそうだなぁと…。私の様なダメダメ母さんからよくもまぁ、グレもせずに育ってくれたと。子供達には感謝ですね🙇‍♀️

 

これからが本番だとは思いますが、明日入学式の我が子へ、先ずは入学おめでとう㊗️

そして2人共に目標を達成し、数年後に社会人として新たなスタートに立てるように精一杯の応援をさせていただきます🎉

 

ぼちぼち頑張れよ‼️😁